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「好きです。」
その言葉は、最も聞きたかった言葉だ。本人の口からその言葉が出るのを俺は本当に本当に望んでて、ずっとずっと憧れてた。きっと無理だろうな、とか半ば飽きらめていたりもしたんだ。だから今、本来は嬉しいはずなんだ。その言葉を、まさにイルカが俺に向かって言ってくれているんだから。
本当は、俺との記憶がない今のイルカが俺のことをもしかしたら好きなんじゃないかってのは分かってた。最初はそうでもなかったけど、最近になってイルカが見せる態度が何か色めいていて、俺にすら見せたことのない、あからさまな恋情めいたものが見え隠れして、俺はそんなイルカにいつもドギマギしていて、でも素知らぬ振りをしていた。
以前この部屋に来た時、イルカは酔って眠った振りをしていたけど、本当は狸寝入りをしていたって分かってた。分かってて、イルカの久しぶりに見る寝顔に、その美しい涙を眺めていたくて騙された振りしてた。ただ、イルカの無防備な姿を側で感じていたくて。
そして、今、イルカは答えてくれた。俺の中で最良とも言える答えでもって返してくれたのだ。それで俺はどうしたい?
イルカは好きだと言ってくれた。俺も、俺もイルカは好きなんだ。両思いだ。万々歳じゃないか。
イルカが目を閉じた。俺は機械的にイルカの顎に手をかける。
が、なかなか先へと行動が続かない。
何をためらっているんだ?イルカがキスを望んでいる。この世界で無数にいる人々の中から俺を選んで俺にせがんでいるのだ。
俺からの、キスを、愛の言葉を。それは俺が望んだものでもあるんだ。
すっとイルカに覆い被さるようにイルカの唇に指を這わせて、そこに俺の唇を持っていく。それは、ひどく倒錯的な光景のようだ。頭の隅っこで危険信号が鳴り響いている。これは罠だと体が拒絶する。
俺はキスするほんの間際で反射的に飛び退いた。
急にいなくなった俺の気配にイルカが目を見開く。
「あ、あの、そう、俺、呼ばれてて、ちょっと、行かなくちゃ、いけなくて、」
俺はしどろもどろだった。まるで子供だましの言い訳だ。目も合わせられない。これではまるで相手をひどく傷つけている。そうは思っていても、俺はどうすることもできなかった。
だめなんだ、どんな風に自分を誤魔化したって、結局は逆らえないんだ。なんて残酷なんだ。同じイルカの体なのに、だって、あんたはイルカじゃない。俺と共に歩んできた、一緒にやってきたイルカじゃないじゃないか。
ひどい、ひどいよ、こんなのってないよ。俺は、イルカが好きで、イルカからも、できれば両思いになれればいいと思ってて、けど、だからってこんな、
「カカシ先生、泣かないで下さい。」
イルカが心底困ったように言うのを聞いて初めて、俺は自分が静かに涙を流しているのに気が付いた。
「あ、俺、」
俺は慌てた。こんな、自分で自分の感情がコントロールできないなんて、そんな子どもっぽいこと、恥ずかしい。
俺は自分の涙をぐいっと袖口で拭った。
「すみません、俺、てっきりカカシ先生も俺と同じ気持ちかと勘違いしちゃって、ほんと、お恥ずかしい。あなたには他に好きな人がいるって聞いていたはずなのに、何を勘違いしてんだか。俺は、その、実は恋愛感情であなたのことが好きだったんです。カカシ先生は俺に親友であってほしいという気持ちを望んでいたんですよね。はは、俺はまったく恋愛経験ってものがなくて、雰囲気とか、相手の態度でその場の状況を見るのが不得意で。まだ任務とかならいいんですが、こと、自分のこととなると、とんと駄目でして。お恥ずかしい限りです。」
イルカが顔を赤らめて謝っている。違う、イルカが悪いんじゃない。全ては俺が悪いんだ。俺が最初に告白したから。だからイルカは俺のこと忘れるように暗示をかけて俺を忘れて、でも俺はイルカを諦めきれなくて、イルカに声をかけられて有頂天になって、その罰がここになってきたんだ。
俺は、イルカを傷つける。記憶のあるイルカも、記憶のないイルカも。
「ごめん、なさい。」
俺はイルカの家から飛び出した。
走りながら俺は自分の馬鹿さ加減を呪いたくなった。
何が記憶があってもなくてもどうでもいい、だ。
結局は妥協できなくて周り全てを巻き込んで最悪な状況にしているだけじゃないか。
我が儘で愚の骨頂である俺の精神を嘲笑うがいい。俺は、どんなに足掻いたって俺との日々を重ねていったイルカしか認められないんだ。
ごめん、イルカ、もう、イルカの前には現れないから。
ごめんなさい。
俺は小さく呟いてとぼとぼと歩いた。
数日後、イタチが木の葉の里にやってきた。
狙いはサスケかとも思ったが、自来也様の言うとおり、ナルトの中に眠る九尾が目当てだったらしい。
俺のかわいい部下たちを苦しませるお前を、里を、一族を裏切ったお前を、許せるはずがない。
そう思って挑んだつもりだったのに、俺はあっさりとイタチの瞳術にやられてしまった。
心的に弱っている時にわざわざ精神攻撃してこなくたっていいだろうにあのボケがっ!
なーんて敵さんにはまったく関わり合いのないことを考えてしまったが、とにかく俺はそれ以降、昏睡状態になってしまっていたらしい。
らしい、と言うのは俺がついさっき綱手様に回復してもらって昏睡状態から抜け出せたからだ。退院前にいくつかの検診を受けていれば、問診していた医師が部下であるサスケも俺と同じ瞳術にかかって昏睡状態だったと話してくれた。
それは、つまりイタチに再会したと言うことか。しかもあの瞳術を食らったとなると、サスケのトラウマを引きずり出したに違いない。精神攻撃はトラウマのある者に対して容赦がない。
俺だって効いたもんなあ、刀でずぶずぶ刺されちゃって、痛いのなんのって、まあ、イタチの考える俺への精神攻撃が物理的な攻撃方法だったことに少しは助かっていたというのは否めない。
あそこでイルカのイメージを映し出されてしまったら、俺はきっと発狂していただろうから。
あーあ、だめだだめだ、きっとイルカは呆れ果てたんだろうなあ。ほんと、悪いことしたなあ。
退院してほこりのたまってしまった自宅のベッドでぼんやりと思っていれば、早速窓辺に任務を伝える式が飛んできた。
病み上がりだって言うのに人使いの荒い。まだまだ木の葉の復興には時間がかかるってことか。
任務前にサスケの見舞いでもして行こうかと俺は忍服に着替え始めた。そして準備が整うと、聞いていたサスケの病室へと向かったがそこには誰もいなかった。
ん〜?サスケとナルト、それにサクラのいた気配が残っている。そして床に転がっている踏み潰されたリンゴ。
...嫌な予感がした。
気配を追って屋上へと上がっていけば、今、まさにナルトとサスケがお互いを攻撃しようとしていた所だった。そしてそこに割って入っていくサクラ。
ばっ、死ぬ気かサクラっ!
俺は病み上がりの体に鞭打って二人の間に入ってお互いを放り投げてやった。
「病院の上でなにやってんの?ケンカにしちゃちょいやりすぎでしょーよ、キミたち。」
冗談めかして言ってはみたが、どうにも緊迫した雰囲気は緩和されなかった。重傷だわ、こりゃ。
サクラは泣いてるしサスケもナルトもお互い目を合わそうともしない。
どうして、こんな風になっちまったのかねえ、やれやれ。
俺はサクラをなだめてやると一人立ち去ってしまったサスケを追うことにした。
そこで懇々と説教してやれば、一番大切な人間を殺してやろうかとか言ってきやがって、まったく、そんな減らず口ばっかり成長しちゃって、まあ、言いたいことも分かるけどね。
「あいにく俺には一人も、そんな奴はいないんだよ。もう、みんな殺されてる。」
或いは、俺の思い出ごと己で殺された。自己暗示という方法で。
努めて明るく振る舞ってやったら、サスケの奴は黙り込んでしまった。
少しは、スリーマンセルの仲間と言う存在を意識してくれればいいんだが。
そう思って俺は任務へと向かった。これ以上出発を遅らせてしまっては任務に支障が出る。上忍としてのプライドってのはあるし、木の葉の里の弱みを他国に晒すことはできない。代々の火影が守ってきたこの里を、大蛇丸なんかの傷跡のために失うわけにいかないからね。
俺は木々の間を抜けて跳躍した。
白光に輝く、月の美しい夜だった。
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